ドーバーの絶壁

MUSICとLITRATURE

ケネス・B・パイル『欧化と国粋』

日本の政治は兎にも角にも高齢者びいき、それも当たり前で代議員が老人ばかりだから、それならば、若い人たちが政治を執ったらどうか・・・という事を考えたりする。ところが150年ほど歴史を遡ると、そのような実例が日本には存在している。時は19世紀半ばから後半にかけて。1853年にペリー率いる黒船来航があって、1868年に武士特権階級に属する一党派が国家改変に乗り出す(王政復古の大号令)、まさにこの時期は、青年達が国を動かしていった時代。

 

ケネス・B・パイルの『欧化と国粋』という本には、この時期の青年達の苦悩や戦いがありありと描かれている。これがめっぽう面白く、また考えさせられる。現代に生きる僕らにとって国粋は、明治に生きていた青年達に比べるとファッション感覚に過ぎないんじゃないかと思われるほど、欧化と国粋について全く意識していないことに気付く。世界に誇れる現代の日本の文化を、COOLJAPANと銘打って輸出してみても、何か上滑りな感が否めない原因もここにあるのではないかと思う。

 

明治初期の青年達は、この問題について苦慮し、悩みに悩んだ末に精神を壊す者も多数存在した。世界を知り、科学技術や政治制度など全く新しいものに触れた若者たちは、幼少の頃から儒教中心の教育を受けてきた訳で、2つの価値観を多感な時期に享受することが出来た。出来たというより、しなければならなかった。西洋の価値観を取り入れることは、自国の文化を捨て去ることになるのか、それは進歩史観で片がつくのか。そもそも、日本が世界に誇れる文化とは何か(西欧化の改革が最も盛んな時期には、その様なものは無い、と答える青年も多かったという)。

 

『欧化と国粋』では、その時代において意見を戦わせた2つの若い集団、民友社と政教社にスポットライトが当てられている。日本社会の完全なる西欧化を追求するか、それとも、明確な文化的アイデンティティを保持したままの西欧化か。これは現代でもずっと残されたままの問題になったまま、多くの人は心の奥にそっとしまっている問題でもあると思う。なぜ解決されなかったかのか。以下は本書の最後の文からの引用である。

 健全に育つことのできる自己イメージを形成するという課題は、きわめて困難であることが明らかになった。一方では国家の過去の遺産からそれは練り上げなければならないし、他方においては、それは知識の進歩や産業社会の変化する状況に応ずるものでなければならないからである。

10年間の最後に支配力を握ったものが頑迷な国家主義精神であったことは、日本人のほとんどがこのようなバランスをとることに失敗したことを物語るものであった。

 優秀で頭脳明晰な青年たちは、結果健全なバランスをとることに失敗し、戦争にひた走ってしまったというのは、痛ましく、悲しい過去であると思う。

 

欧化と国粋――明治新世代と日本のかたち (講談社学術文庫)

欧化と国粋――明治新世代と日本のかたち (講談社学術文庫)