ドーバーの絶壁

MUSICとLITRATURE

週末の予定を書き出して聴覚と視覚、長調と短調へ

ブログってのは2日続けるだけでも大変なもんなんだなと思う。

だがしかし、俺にとっては2日連続更新の快挙!他にもやることはあるでしょうよ、って話なんだけど。

 

テーマはそれとなく浮かぶんだけど、いざ書こうと構えると2行ぐらいで終わりそうですぐに辞めてしまう。”終わりそう”ってところがミソで、実際には書く事も無く終わってしまうのだ。

 

そして今日のこの日記も以上を持って終わってしまうのだ・・・それでいいのだ・・・いや、良くない!こうやって文字を打ち込んでいる間に、何かとてつもないアイデアが浮かぶかもしれないし、書く事によってそれが泉のように湧き出してくるやもしれん。

 

今日は火曜日、明日は水曜日、明々後日は金曜日。特に予定なし。

 

あ、でも週末にとあるアマチュアオーケストラの録音のお手伝いをするので、その為に楽曲を聴き込んでおこう。劇場からもらうラインをICレコーダーに送るので、マイキングはいじれないのだが、いかにピークギリギリにぶち込めるかが勝負の分かれ目。しかしこのピークメータもかなりいい加減で、機種によって光るタイミングやレベルも違う気がするし、赤いのがポチっとついてもノイズにならないことも多々。

 

仕事柄、ピークメーターは毎日見なきゃいけないんだが、赤ポチでも何ともないと高をくくっていたら、いきなり”ビリ!!!”というノイズが入ってたり。あーこれはやっちゃったなあ・・・と。レベルが高すぎるノイズは、その音源自体を台無しにしてしまう悪い奴。電気的なノイズほど人にとって不愉快なものはそうそう無いと思う。ビリビリ、バリバリ・・・人間がそう感じるのは、感電したときのあのえも言われぬ痛みと痺れを感覚的に思い出すからなんでしょうか。

 

不愉快な音・・・と言えば、これはお隣さんにはちと申し訳ないんだけども、隣人のえづき。本当に毎日毎日、オエーオエーとえづいている。ひょっとしたら、ストレスか何かで胃の具合が悪いのかもしれないし、病気なのかもしれない。それぐらい、毎日えづくわえづくわ。可哀想になってくるくらい。そしてこれが不愉快に感じてしまうのは、二日酔いのあの気持ち悪さが感覚的に蘇ってくるからに、違いない。

 

ということは、音を聴いて気持ちいいとか気持ち悪いとか感じるのは、それが聴覚以外の五感の記憶を呼び覚ますからなんだろうか。いや、五感の中でも視覚は何か違う気がする。ということで、手前味噌ながらWikipediaで感覚の五分類なるものを調べてみた。

 

5分類[編集]

ヒトの感覚は、5分類では次のようになる。

 

 

痺れて痛いのは表在感覚の内の痛覚によるもので、二日酔いによる吐き気は臓器感覚。これらは、誰しもが嫌なもの(真性のドSでも無い限り)。この中でも視覚の特殊性たるや。目が潰されるほどの光でも無いかぎり、何かしらの景色、色を見て、それに何かしらの感情を付与出来るというのは、とても高度な事なんじゃないかと思えてくる。それ自体が直接に痛いとか、気持ちいいとかの感覚を司る器官とは無縁(?)だから。

 

考えてみると、音なんてものは空気の振動に過ぎないし、光の波長と比較すると、とても単純だし原始的。だから、人間にとって愉快、不愉快という二極の感情とのつながりが、視覚とは違ってより深いのかしら。

 

ところで、人は何故長調は楽しい、短調は悲しい、と感じるのかについてちょっと考えたことがあった。きっかけは以下の記事。

Why We're Happy Being Sad: Pop's Emotional Evolution : NPR

”なぜ私たちは悲しくありながら、楽しく感じるのか:ポップス音楽の感情的な革命”と題されたこの記事では、1965年のビルボードのシングルランキングがすべてメジャー、長調の曲であったのに、時代がシフトするにつれて短調の曲がランキングを支配するようになった、と紹介されている。この記事については、また別の機会に考えてみようと思う。

 

よしよし、週末の予定の話から大分広がったぞ、この調子だ。拙文でも書いてみることで、ちょっとした楽しみになるもんだね。