ドーバーの絶壁

MUSICとLITRATURE

”佐村河内守ゴーストライター事件”と”ジョシュアベルの実験”から思うこと

クラシック界をゆるがす大事件が起こった。「全聾の天才作曲家」という触れ込みで世間を賑わし、交響曲第一番”HIROSHIMA”がプロのオーケストラに演奏され、曲のタイトルを冠した小説もバカ売れ(僕も読みました・・・)した佐村河内守氏のゴーストライターが存在したというスキャンダル。

 

プロの演奏家も絶賛し、「あれだけの苦難の中で作曲したのだから、想像を絶する努力」「同時代の作曲家として嫉妬するくらい」「魂を揺さぶられる」と評した作品は、その実、新垣隆氏という”無声音楽作曲家”という肩書きの人物によって作曲されたものだったのである。

 

新垣隆さんが告白「私が佐村河内守さんのゴーストライター」

 

もちろん、プロの演奏家にとって、この作品は素晴らしいものだったのだろう。だが、もし「全聾の作曲家」というセンセーショナルな宣伝文句が無かったら、彼らの耳には届かなかった可能性は非常に高い。一般の愛好家にとってはなおさら、その様なフィルターが無かったら、Youtubeで再生することもなく通り過ぎてしまうだろう。

 

”有名作曲家”というブランディングに多くの人が騙された訳だが、もしもその幻影が存在しなかったとしたら、人々が正当に音楽を評価出来るかどうか、という問題について考えてみたい。

 

ここで一つの動画をご覧頂きたい。ストリートミュージシャンの風体をした男が、通行人の行き交う中で演奏を始める。曲目はバッハのシャコンヌで、無伴奏ヴァイオリン作品の金字塔とも言える作品である。しかし人々はせわしなさそうに通り過ぎ、最後に残った一人の女性だけが、彼の演奏を絶賛する・・・


Stop and Hear the Music - YouTube

 

タネ明かしをすると、この男は世界的に有名なヴァイオリニスト、ジョシュアベルである。僕もはヴァイオリンを習っていたので、もちろん彼の名は知っているし、ラロのスペイン交響曲が収録されたCDは宝物だ。もしも気づいたなら、駆け寄ってサインをしたいくらいの人物。ただ、朝の忙しい時間に大宮の駅前でベルが演奏していたら・・・自分も気付かずに素通りしてしまうかもしれない。もしくは、「今朝ねえ、大宮の駅前で凄い上手でハンサムな人がバッハを弾いてたんだよ」と数人に言いふらすぐらいか。

 

「音楽から権威や肩書きが無くなってしまったら、自分の中で良い音楽とそうでない音楽を区別出来るか」

 

これは個人的には甚だ不安だ。例えば一枚のCDを買うとする。モーツアルト(という18世紀に活躍した天衣無縫の天才作曲家)が作った(後期交響曲の傑作として名高い)交響曲41番『ジュピター(というモーツアルトがつけた訳では無いニックネームを持つ曲)』を、(往年の大指揮者でモーツアルトの演奏に対する評価でも名高い)ベームの指揮の盤を買おう。演奏はこれまた名高い・・・と、延々批評家や音楽家がつけた美麗字句が頭の中をよぎる訳だ。

 

その中で、僕は本当にこの曲に対して”自分の判断”で”正当な評価”が出来ているだろうか。ひょっとしたら、自分が聴いているのは”音楽”では無くて、モーツアルトやジュピターやベームといったそのブランドなんじゃないか。だとしたら、あまり音楽を聴いていることに意味は無い。本を読んで知識を増やすことで聴いたフリをすることと変わりないから。

 

また、ある日ラジオからベートーベンの『運命』が聴こえてきた。「おーこれは凄い演奏だ!迫力があるなあ」と思っていたら、曲終わりに演奏者の紹介が。「ただいまの演奏は、サイモンラトル、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団による・・・」これを聞いて、僕はホッとした。ホッとしたんだけど、その感覚って、人の評価が無ければ自分では何も感じることが出来ないことの裏付けでもあるんじゃないか?

 

音楽が尺度を持たない一つの理由として、「値段がつかないこと」が挙げられると思う。絵画の世界だったら、ゴッホの本物の絵が数千円で売られることは無いだろうし、たとえ本物だとしても秋葉原の絵売り並に怪しい目で見ざるを得ない。音楽でもコンサートにはプライスが付いているが、こちらは”価値そのもの”に対しての値段では無い。ベルリンフィルウィーンフィルも、たった3万円の価値しか無い訳がないし、『作品そのもの』についての価格は誰にもつけられないからだ。だって形が無いんだから!

 

音楽ほど、幻想の価値がどんどんつけられていくものも珍しい。

 

そのような幻想に紛らわされないよう、「まず自分の耳で、何も考えず、感じる」「その音楽がどのように評価されているのを正しく理解する」という2点はとても大事だと思う。そのために、たくさん聴いて、勉強して、時には自分で弾いてみる、という作業が、どうしても必要になってくるのだろう。(いや、自分はそんな偉そうに言うほど勉強してないけど、理想論として・・・)

 

この記事を書いている矢先、ニュースZEROで「現代のベートーヴェンと呼ばれた作曲家が・・・」と報道されていた。僕らはベートーヴェンの、一体何を聴いているんだろう。

 

 

 

サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番

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