ドーバーの絶壁

MUSICとLITRATURE

不遇の交響曲・マンフレッド

今週末に、都内のとある素晴らしいアマチュアオーケストラの録音を担当させて頂く。劇場からのラインをもらって2台のICレコーダーで録るんだけど、ピークに気をつけて、楽団員の想いを詰め込みたい。

 

メインの曲は、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲チャイコフスキー交響曲にこんな曲あったのかいな!?という感じだが、有名な後期の交響曲群の間に挟まれた(1885年、4番と5番の間)、不遇の大曲であった。

 

いかにも不遇な作品であることの裏付けとして、かの大指揮者レナード・バーンスタインがこう言ったらしい。

Leonard Bernstein described it to the author as "trash"

("The New York Philharmonic: From Bernstein to Maazel " by John Canarina)

 

屑って・・・ひどい・・・。一応Wikiで辿っていくと原点が見つかったので引用したが、このインタヴューが永遠にWebの記事で引用され続けるとは、気の毒な曲である。

 

その上、作曲に至った経緯もあまりパッとしない。ロシア5人組として有名なバラキレフが、バイロンの長編叙事詩『マンフレッド』を題材にした標題作品を思いつくが、「自分にとっては壮大に過ぎて荷が重い」との理由で、当初は当代随一の人気作曲家、ベルリオーズに作曲を依頼したらしい。ところが、「体力的にキツい(ベルリオーズ)」という理由で断られ、チャイコフスキーにお鉢が回ってきた。チャイコフスキーは承諾するが、作曲に際してはバラキレフの細かい指示(調性や転調について)が与えられており、そこまで言うなら自分でやれやとも思うが、この作曲指示は、結局のところ無視されてしまったようだ。

 

書き上げてからしばらく、チャイコフスキーはマンフレッドに自信を持っていたが、時が経つにつれて、ボヤきが増える。

「マンフレッドの作曲は私の寿命を1年縮めた。」

「1楽章以外は、全く嫌い・・・」

「この長い交響曲の中から、交響詩にまとめ直そうかと思っている・・・」

 

生みの親にこのように言われる悲劇。原作の主人公マンフレッドは、アルプス山中の城主だが、懐疑主義者ゆえに流浪の旅をし、悲苦の末に生涯を閉じるという内容で、この作曲経緯の悲しさとも重なるところがある。とにかく孤独な曲なんだ・・・。

 

さて、長い前置きというか、前置きである作曲経緯がほとんどこのブログの主題になってしまった訳だが、曲を聴いてみた感想は、後期交響曲に見られるような強烈で印象に残るフックや旋律は無いものの、静と動が交差する劇的な展開はチャイコフスキー節全開。とりわけ、「虹の下でマンフレッドの前にアルプスの妖精が現れる」2楽章は鳥肌が経つほど美しい。

 

演奏はシャイーとコンセルトヘボウ管を聴いた。どっしりと風格があり、金管が良く響き渡っている雄大な演奏だと思う。(この組み合わせ、金沢に来日したときにマーラーの3番を聴けたのは最高の音楽体験だった・・・弟が少年合唱団として共演したことが羨ましい・・・)

 

ピークポイントは、ドラマティックな1楽章と4楽章に、金管とシンバルが火を噴く場面が何カ所かあるので、気をつけよう!